人垣を縫って表れたティルに、ファルーシュは内心相当動揺した。が、それを片鱗も見せず少年を見守っていれば、するすると人をすりぬけ、真っ直ぐファルーシュのもとへ来るではないか。

 なんてことだ!(閣下心の叫び)

「王兄殿下」
 頭一つ以上低いティルは、普段の平民服ではなく黒を基調にした正装をまとっている。黒髪と濡れたような黒い瞳にあいまって、ファルーシュと並ぶと影の化身のようだ。それを気にする風情も無く、どちらかといえば周囲の目を避け長い前髪で顔を隠すようにしながらファルーシュを見つめると、
「少しお話が」
 客人のことで、と声をださず唇を動かす。心の中で盛大に安堵の溜め息を吐き、ファルーシュは得たりと頷いて、ティルをエスコートするように
「申し訳ない、皆さん。少々失礼致します」
 反論を許さない雰囲気を滲ませて、そのまま側面の小扉へ向かう。丁度顔を隠すように腕が肩に触れるのを気恥ずかしいと思いながら、ティルは足早に広間を後にした。なるべく普段の自分とは違う姿に見えるようにしたが(グレミオは衣服と髪を整えながら気持ち悪いくらい上機嫌だった)、さりげないファルーシュの気遣いに感謝した。
 通りすがりの女官に適当な客間を案内してもらい、その室の扉を閉めてから、ファルーシュは改めてティルに向き直った。


「済まないね、リィは何をしたんだ?掃除洗濯料理暴言?」


 やっぱりそういうキャラなのか。


 声に出さずティルは呻いた。ていうか最後の暴言ってなんだ。
「いえ、そうではなく。トラン国内ではあるんですけど、彼が行きたがってる所がありまして」
「遠いの?」
「ええ・・・竜に乗らないと行けない所なんです」
「竜!」
 ここの竜は空を飛ぶんだってね、と砕けた口調でファルーシュは笑った。
「ああ、そうか、日にちがかかるからわざわざ断りに来てくれたんだ。構わないよ、リィの目的はそこなんだろう?」
「そう、ですね・・・」
 どことなく沈んだ風情のティルから、あらかたの顛末を理解したファルーシュは、けれどそれを気取らせない軽い口調を崩さない。
「彼はファレナの者じゃなくて、本当は群島諸国の人間だから、私がどうこう言えるものでもないんだけど提督とは幸い懇意にしているから、伝えておこう。そういう細かい事を気にする御仁でもない」
 朗らかに請け負ってから、ふと気がついたようにティルに向き直った。
「そうだね、ただあちらの帰途の都合もあるから出る日には連絡をくれると嬉しい」
「わかりました。どちらにしろ出発はこの城の庭からになります」
 竜の手配もありますから、まだ数日は猶予もあります。
 それでは、と一礼して室を辞そうとするティルに、
「ああ、私も戻るよ」
 とつきそう形でファルーシュも室を出る。


 扉を開いた廊下には、数人の貴族とおぼしき人間がうろついていた。
 彼らは一様にファルーシュとティルが並び出て来たのを認めると、さりげなさを装って散る。怪訝な表情をするティルに、ファルーシュが苦笑いで答えた。
「君か私か、どちらかが単独で出てくれば、適当な口実をつけて話に引き込もうとしていたんだよ。広間ではどうしても衆目があるからね」
「はぁ・・・」
「女王国とのつなぎが目的か、英雄殿のお言葉が目的か」
 それとも子供でありながら英雄であるティルからの言質を得るのが目的か。
 例え詐欺に近いものであろうとも、彼から言質を得ればそれは相当な強いカードになる。
 心の内で呟くと、むっとした表情のティルを微笑ましい気分で見た。
 隠そうとしても滲む感情の、その年相応さが愛しい。
 自身には決して許されなかったものだからこそ、妹や、望まずして英雄の「汚名」を着る事になった少年から奪われてしまうのはしのびないと思う。


 そこに、ほんの少し羨望が混じったのは、仕方のないことだと言えよう。


「さぁ、門まで送ろう。他にも同じような輩がいないとも限らないからね」
「・・・ありがとうございます」
***
ここも、すんごく書きたかったとこです。最後のとこがね。
王子と坊ちゃんはここが違ったな。周りが。どちらも愛されてはいたけれど、
肩代わり出来た事、出来なかった事、して欲しかった事と義務と。
どちらが幸せとかそういうんじゃなくて、でもうちの殿下はちょっと
坊ちゃんが羨ましいんです。